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フクシネマスペシャル『つむぐもの』上映&トーク

おはようございます。フクシノワ髙木です。2018年、今年はじめのフクシノワのイベントを1/7 いわきPITにて開催しました。『フクシネマスペシャル』上映&トークショウ。普段は小さな会場で少人数で集まり、”フクシ目線"で映画を観て、みんなでお話しする小さなイベントの『フクシネマ』。今回は、いわき潮目劇場カルチャーショックプログラムとして、スペシャル版での開催となりました。上映作品は『つむぐもの』(犬童一利監督 2016)。介護が必要になってしまった頑固な和紙職人と、ワーキングホリデーで日本にやってきた韓国の女子とが、介護を通じて心と心を紡ぎ合わせていくというストーリー。介護士の苦悩や現場の問題も描かれている話題の介護映画です。今回のイベントでは、監督の犬童一利さんをゲストに迎え、上映後に第2部としてスペシャルトークショウを行いました。テーマは「フクシと表現」。アールブリュットを軸に企画・展示を行っているはじまりの美術館(猪苗代)の館長である岡部兼芳さん、福島県立博物館の主任学芸員である小林めぐみさんにもお越しいただき、スペシャルなトークセッションが繰り広げられました。映画も素晴らしく、トークセッションもすんごく内容がよく、イベント終了後にたくさんの方々から「素晴らしいイベントでした!」「超良かった!」という嬉しいお声をいただきました。いや、ほんとめっちゃよかった。。。

コラム2 これからのフクシ

【あおいけあの介護から】少し前になるが“NHK『プロフェッショナル仕事の流儀 “あなたらしさ”は、ここにある 介護施設経営者・加藤忠相』“を観た。「朝来てやることは決まっていない」番組開始直後から加藤さんの言葉に夢中になり繰り返し10回は見たと思う。興奮冷めやまぬまま2月渋谷での講演を聞いたのち、3月オープンハウスの見学へ行ってきた。あおいけあを通して感じた“フクシ”の楽しさについて少し語ろうと思う。「スケジュールがない」この言葉にあおいけあの介護スタイルが集約される。朝来て何をするのか、1日をどうやって過ごすのかは全て利用者に委ねられ介助者はそのサポートに徹するのだ。自分から何がしたいのか言い出せない人にはその人の得意分野をリサーチした上で「すみませんやり方がわからないので教えてください」と声をかけるのだという。いわき市に限らず、ほとんどの介護事業所では1日のスケジュールが決められており、居宅のケアマネージャはデイサービスの事業所から貰ったパンフレットを利用者に渡し「入浴をして、体操をして、お昼ごはんを食べて、レクをして、家に帰ります」という具合に説明をする。あおいけあではこのフォーマットが全く通用しないのだ。経営者の加藤さんは最初に就職した施設で、職員が、食事時間、入浴の時間、排泄の時間といった具合にスケジュール通りに動くことで利用者が“管理”されていて、その様子を疑問に思ったことから自分の施設を立ち上げるに至った。あたり前のことだが「排泄の時間」だからと言って皆が催す訳ではない。この話を聞き僕もかつて働いていた施設を思い出した。クリスマスの夜にある女性の入居者が1階に飾ってあるクリスマスツリーを見たいと言った。もう既に就寝時間を回っており消灯していたが、彼女はあえてこの時間に暗闇で輝くツリーが見たかったのだ。僕は日勤を終えた直後で夜勤の人がもう業務に入っているのだから自分ひとりが付き添えばこのくらい簡単に叶えてあげられると思い施設長に掛け合った。案の定答えはノーだった。「今は大丈夫でもいつも対応できるわけじゃない」というのが理由だ。あのとき僕が感じた無力感を加藤さんも感じたのだと思う。福祉を学んで介護の現場で働きたいと思う若者の多くは、利用者のやりたいこと、生き甲斐を引き出して、それを支えたいと願って介護の現場に入ってくる。せっかく利用者がやりたいことを求めているのに、それを手前の理由で拒否することが一体誰の得になっているのだろうか?あおいけあの介護は利用者、職員両方にとって得になる介護だ。利用者は自分のやりたいことを介護士に伝えるだけ、職員は同僚や上司の顔色を伺うことなく手助けすることができる。メディアでは「自発的な活動を通して活動量を上げ心身の老化を予防する」などといって取り上げられるが、そういうのはあくまでも一側面からの説明に過ぎない。利用者と介護者の両方が介護を通しそれぞれの思いを実現することで皆がその場を楽しむことができるのだ。誰でも遅かれ早かれ歳を取り中には自分の意思とは関係なく認知症になる人もいる。介護士だってなりたかった人もいればそうでない人もいる。それでも人生は続くわけで、その時その時を無駄にすることなく楽しく過ごしたいと思うのはあたり前のことだと思う。その一方で「歳を取ったから多少の我慢は仕方ない」「介護職はそもそも3Kなのだから仕事を選んだ人の責任」それこそ僕が言われたように「今は大丈夫でもいつも対応できるわけじゃない」などの意見も有る。果たして現状は変えられないのだろうか?オープンハウスの見学に行った際特別に質問をする機会を頂いたので「利用者の希望が職員の対応人数を超えた場合にどう対応しますか?」と聞いてみたところ管理者の方から「例えばスーパーに買物に行きたい人と別のところに行きたい人の希望が重なった時は、誰が行きたいところに行けるかそれ自体をゲームにします、状況を逆に利用するんです」との答えが返ってきた。こっちが立たねばあっちが立たず、そんな場面をあおいけあでは上手く楽しさに変えることができている。どうやったらそんなアイディアに行きつけるのかと尋ねたところ「頭を柔らかくして考えるんです」とのこと。この文章をお読みの方はお気づきかと思うが僕もなかなか頭が硬いのだ。頭を柔らかくすることを考えれば考えるほど、知識を付ければ付けるほど、どんどん頭は固くなっていく気がする。だから僕は“楽しさ”に最初の出発点を置こうと思う。あおいけあのように介護、福祉を楽しいと思える人がもっと増えて「介護される人の喜ぶ姿をもっと見たい」「楽しんで介護がしたい」「楽しんで介護を受けたい」現実に抗ってもそんな思いを持ち続ける人がもっといたら、そんな人達がつながってアイディアを出しあえば、もっと複雑で困難なことでも楽しさに変える力になるんじゃないだろうか。(文・早坂攝)

コラム1 リスポとフクシ

【リスポで交わす「おー どうも」】今年、創業50周年を迎えたタウンモールリスポ。小名浜の商業の中心として長年市民に愛されているショッピングセンターです。そのリスポが来年の1月15日を持ってその長い歴史に幕を降ろすことが先月発表されました。両親がお店を出していたこともあり、子供のころからしょっちゅう通っていた僕としては、ショックを通り越してよく分からない心境です。あの場所がなくなるという事実は受け入れられても、まだ当たり前のようにそこにあるので全く実感がありません。でも確実に来年頭で閉館し、その後解体されてしまうのです。なくなったらどうなるのだろうという切り口ではなく、リスポの小名浜での存在について書こうと思います。リスポは、地元の個人商店が集結してできた全国でも珍しいタイプのショッピングセンターです。僕が子供の頃の80年代後半から90年代前半は、ファミコンブーム、ジャンプコミックブーム、CDミリオンセール連発の時代で、リスポ(当時の名称は小名浜名店街)と隣の小名浜ショッピングセンターは大盛り上がり。子供達を始めたくさんのお客さんで大賑わいでした。時が流れ、賑わいの中心が鹿島地区に移動し、リスポ周辺は徐々に寂しくなっていきました。しかしリスポは昔ほどの賑わいでは無いけれど、平日の午前中は、あの広い駐車場がほぼ満車です。じいちゃんばあちゃんがたくさん来館します。リスポの建物は老朽化しています。リスポもお年寄りです。じいちゃん(もしくはばあちゃん)のリスポに、じいちゃんばあちゃんが訪れます。特に買い物する用事がなくても、お店の誰かやお友達に会いにふらっと会いに行けるリスポは貴重な場所だと思います。顔見知りのつながりの歴史がないとこれは実現できません。もはやリスポは、買い物するだけのショッピングセンターの域を超え、理想のコミュニティスペースとして成り立っていると言っても過言ではありません。『誰かに会える』。すごく当たり前の事のようですが、これがなかなか難しい。ふらっと好きな時に行って、誰か顔見知りに「おー どうも」と言葉を交わす。何気ないけど、これってすごく大事だと思います。そんなリスポが来年には無くなってしまう。みんなどこに行くんだろうかと考えてしまいます。小名浜のまちにとってリスポの喪失は、想像できないくらい大きいものなのかもしれません。日に焼けたパステルカラーを身にまとい、リスポは明日もそこにいます。(文・高木市之助)ps:今日リスポに行ったら、「年金応援ポイント3倍セール」をやっていました。